横浜市議会議員 公明党所属 仁田まさとし
シャープな感性、ホットな心 仁田まさとしの議員活動をご報告します。

リヨン市長ジェラール・コロン氏の講演(仏日翻訳)

 

 市会議長、横浜市長、そして議員の皆様。皆様のことを親愛なる友と呼ばせてください。
 皆さま、横浜とリヨンの関係について話すには、かなり古い過去まで時間を遡らなければなりません。元々リヨンは、絹織物産業を基盤としてその富と繁栄を築いてきました。そして、皆様もご存じのように、この絹織物産業によって、かなり早い時期からリヨンと極東の国々との結びつきが生まれました。例えば、横浜港が開港されたときも、リヨンは直ちに数名の代表団を派遣しました。彼らは、横浜に来て滞在することになった最初の外国人の一部となったのです。このように、横浜港の開港直後に、横浜とリヨンはすでに友好関係を結んでいたのです。このことは私どもにとって重要な意味があります。というのも、そうした過去の延長線上にリヨンの現在そして未来があるからです。
 このあと皆様にご覧いただきますが、リヨンを紹介するにあたり、私は二つの側面、すなわち、経済的な側面と都市開発の側面を選びました。例えば、のちほどお話ししますように、リヨンの発展はひとえに絹に由来しています。そして今日、リヨンはバイオテクノロジー分野において優れた競争力を有しています。現在、リヨンにバイオテクノロジーが存在するのも、それ以前の歴史があったからです。冒頭で私は、それは絹であり、織物であったと申し上げましたが、この織物については染色が必要であったため、リヨンに染料産業が生まれました。そして、それから少しあとの時代になると、染料をつくるための化学工業が発展しました。のちほど紹介しますが、これはリヨンの経済史上において重要な側面となっています。その後、化学に次いで製薬が盛んになり、バイオテクノロジーの発展へと続いていくわけです。このようにリヨンの歴史は、一言で言えば、一連のイノベーションに支えられてきたということになります。歴史の中に様々なイノベーションが組み込まれてきたのです。
 リヨンを紹介するには、実に多くのテーマを取り上げることができます。その一つとして、文化におけるリヨンのアプローチも含まれます。文化面を中心とした紹介は、横浜市長にもご満足いただけるのではないかと思います。というのも、今日、横浜市はクリエイティブ産業の発展を目指し、文化の振興の上に横浜の成功を築こうとしておられるからです。皆様の中には、すでにリヨンの文化に接する機会のあった方もいらっしゃると思いますが、その機会はこれからもあります。国立リヨン管弦楽団が2007年に来浜し、大成功を収めたと聞いておりますが、今年の秋には、今度は国立リヨン歌劇場管弦楽団が参ります。この管弦楽団のメンバーは、皆様にとって外国人ばかりではありません。というのも国立リヨン歌劇場管弦楽団の指揮者は横浜出身の大野氏だからです。このように、リヨンと横浜はきわめて強い絆で結ばれているのです。
 お話をするにあたって、私は2枚の写真を選びました。最初の1枚は横浜の写真です。きわめて現代的なその姿は、私どもを魅了してやみません。港湾を臨むその眺めは、私がこれまでに目にしたもののうち最も美しい眺望の一つです。次に、皆様にリヨンの市庁舎をお見せします。この写真には、市庁舎の前の広場とその噴水がいっしょに写っていますが、この噴水は彫刻家バルトルディの作です。ニューヨークにある自由の女神像を制作したのもこのバルトルディです。このように、市庁舎の前には、リヨンを流れるローヌ川とソーヌ川の合流を象徴する非常に美しい彫像があります。奥に見えるリヨンの市庁舎は、1642年に建造されたもので、建造当初から市庁舎として設計されました。つまりその時代に、街の商人や資産家たちは、フランス国王に対し、リヨンが裕福で力をもち、かつ文化的にも発展した都市であることを示そうとしたのです。そうした考えのもとにこの瀟酒な市庁舎が建設され、当時まだ幼かった国王ルイ14世によって落成されました。このように、市庁舎には長い歴史があるわけです。いつかリヨンにおいでいただけば、私どもの街やその市街地には、ローマ時代からの歴史が残っていることをおわかりいただけると思います。今でもリヨン市民のために劇場として使用されている古代ローマ劇場もありますが、ご存じのように、これは、古代にルグドゥヌムと呼ばれていたリヨンの街を築いたローマ人たちの足跡を物語るものです。リヨンの古代の名称であるこのルグドゥヌムという言葉は、ラテン語で“光の町”を意味します。私どもはこの光の伝統を今も継承しています。
 横浜は現代的な街です。私どももまた、リヨンの伝統に現代性を結びつけようとしています。リヨンの伝統、それは例えば、ローヌ川の河畔に建つこの美しい建物にも見られます。これはオテル・デューと呼ばれる昔の病院で、これまた15世紀末、ルネサンス時代に建てられ、次いで18世紀に著名な建築家スーフロによって改造されたものです。中世(ルネサンス時代初めに)ここでフランスの文豪ラブレーが医学を教えていました。このように、リヨンの歴史は極めて古いものです。
 皆様にリヨンをイメージしていただくために申し上げますと、リヨンは横浜よりもはるかに小さな街です。先ほど市会議長からお話がありました都市共同体、つまりリヨンとその第1次近郊市街を合わせた人口は172万人にすぎません。
 しかし、リヨンは経済の発達した重要な都市であり、国内総生産は600億ユーロとなっています。この数字はリヨンの力を示しています。これは、私どもが建設した最初の高層ビルです。長年にわたりリヨンにあった唯一のタワーで、私どものシンボルでもありました。先端がとがった形をしているので、リヨンでは「鉛筆タワー」というニックネームで呼ばれています。
 リヨンは重要な経済都市です。フランス第2の経済都市で、雇用人口80万人、企業13万社を擁しています。また、ヨーロッパの最も魅力ある都市として第14位にランクされています。実は、この写真には少々手が加えられており、リヨンは将来こうなるというイメージを示しています。現在、この「鉛筆タワー」があるだけだと申しましたが、今、このタワー、「オクシジェヌ・タワー」の建設工事が終了しようとしています。また、もう1塔、「インシティ・タワー」と呼ばれる高層ビルの建設も計画されており、段階的に着手することになっています。これが、パール・デュー地区のビジネスエリアに建設することになっている4〜5塔の高層ビルです。
 リヨンはまた、知識の中心地でもあります。大学はフランス第2の規模を誇り、学生13万人、外国人学生2万人、研究者1万人が集まり、研究所の数も500にのぼります。例えば、今ご覧いただいているこの建物は、リヨン高等師範学校の文学・人文科で、私ども代表団のメンバーである大学関係者らと一緒に訪問した東京大学とも学術交流を行っています。
リヨン大学は、古い歴史をもつ大学です。現代的な建物をご覧いただきましたが、こちらには別の建物もあります。例えば、ローヌ河畔にライトアップされているこの建物は法学部です。照明といえば、これはリヨンの得意とするものの一つで、夜にはリヨンの美しい建物のすべてがライトアップされ、とても美しい外観と詩的な雰囲気を満喫できます。
 ところで、フランス政府は数年前に、フランス経済の発展のために競争力拠点、すなわち「クラスター」を展開することを決定しました。リヨンにおいて、私どもは5つのクラスターの指定を受けました。これはパリと同数であり、リヨンの経済力の強さを物語っています。これらのクラスターで筆頭に挙げられるのが「バイオポール」です。これは、保健およびバイオテクノロジー分野に特化したクラスターで、おそらく最も強力な競争力拠点と思われます。次がアクセレラ拠点で、これは化学のクラスターです。のちほど説明しますが、今は、昔の化学から「クリーンテック」、すなわち未来の化学へと移行しています。3番目は繊維分野のクラスターで、これは先ほどお話しした絹織物に由来するものです。今日では、機能性テキスタイルや産業用テキスタイルがその対象となっています。4番目は、これは日本で非常に盛んなテレビゲームと映画のデジタル画像制作に特化したクラスターです。そして、第5は、トラックとバス関連のクラスターで、安全問題と新燃料を扱っています。
 先ほど、リヨンはフランスにおける保健の中心地だとお話ししましたが、リヨンはフランスにおいて2番目に病院施設が充実している都市です。病院のスタッフはおよそ12万人にのぼり、院内で高度な研究を実施することができます。私どもがバイオテクノロジーのきわめて有力なセクターを促進できるのはそのためです。東京大学を訪れたとき、バイオテクノロジーの研究所を見学しましたが、私どもの研究テーマには共通点が多いことを認識しました。きっとこの分野でも、東京大学、横浜の各大学、横浜国立大学、そしてリヨン大学とのあいだで学術的な提携ができると思います。ライフサンエンス分野では、今日のリヨンの雇用人口は10万人にのぼります。バイオテクノロジーと保健に関して、リヨンはヨーロッパの十大市場の一つになっており、リヨンにはそのための専用のパークがいくつかあります。まず、約100ヘクタールの広大な地区に大規模なパークがあり、そのほか専門別パークがいくつかあります。例えば、「ビオパルク(=バイオパーク)」は、4ヘクタールの敷地に4万平方メートル以上のオフィスと研究所を収容できるようになっています。次の写真は、ピオパルクの第1期工事が完了した区域ですが、ここにはいくつかの研究所が入ります。
 先にお話ししましたように、リヨンの第2の産業は化学です。例えば、この写真に写っているのはリヨンで最も大きな化学工場の一つです。化学はリヨンの伝統的な産業でしたが、伝統的な化学と現代の化学には相違点があります。これは、「クリーンテック」の開発研究所の一つです。池を配した緑地の中に現代的な建物が見えますが、これは未来の化学の姿を示していると言えます。つまり、もはや巨大な配管が入り組む昔のイメージはなく、こうしたタイプの研究所が中心になるのです。
 第3は、繊維産業です。ご覧いただいているのは伝統的な繊維産業です。もちろん日本と同様に私どもも、国の発展に伴い、繊維産業を近代化していく必要がありました。今日、私どもは機能性テキスタイルに取り組んでいます。それは、例えばネクタイにシミがついても、布に含まれる酵素の作用でシミが取れるといったテキスタイルです。また、飛行機の翼に使用したり、自動車の燃費向上に向けて車両を軽量化したりするための産業用テキスタイルもあります。
 その次の競争力拠点は、皆様が得意とされている分野、つまりテレビゲームに特化したクラスターです。このデジタルポールは、リヨンの一地区に建設したものです。次の写真をお願いします。ソーヌ川沿いの20ヘクタールがこのデジタル分野のクラスターに割り当てられており、ここには映画産業とテレビゲームの開発施設のほか、レジャー複合施設もあります。
 最後のクラスターは、横浜でも開発されているクリエイティブ産業に関連するものです。創造産業とも呼ばれるクリエイティブ産業には、ファッション、デザイン、映画、テレビゲームなどが含まれ、おそらく未来の産業となるでしょう。グローバル化された今日の世界において、未来を先取りするには、新たな文化活動を推進していく必要があります。未来のあり方を創造し、それを広く世界に普及させ、それを経済発展に結びつけることがきわめて重要になります。
 リヨンはまた、その豊かな経済を基礎とする第3次産業の都市でもあります。第3次産業の都市としてリヨンは、今日のフランスにおいてパリに次ぐ規模を有するとともに、国際的な第3次産業の大都市でもあります。のちほど、現在私どもが取 り組んでいるプロジェクトのいくつかを写真で紹介させていただきます。
 さらに、リヨンはロジスティクスの都市でもあります。今ご覧いただいているのはリヨン空港ですが、フランスの超高速列車TGVも乗り入れています。リヨンはヨーロッパの各大都市と空路で結ばれており、しかもその中心にあります。また、今日ではTGVはリヨンを含めてヨーロッパの大都市のすべてを連結しています。
 自動車産業については別のところで触れることにして、先に行き、ジェルラン地区テクノポールについて説明します。先ほど申し上げたとおり、私どもは街の中心部にバイオテクノロジーの拠点を置きたいと考えました。その結果、中心部にある約100ヘクタールの地区に、今日のバイオテクノロジーの拠点を設けました。この拠点の利用可能面積は12万平方メートルで、ここに企業2,000社、雇用人口2万人、学生3,000人、研究者および教員兼研究者2,000人が集まっています。そこには、例えばサノフィ=パスツール、ビオメリユー、米国のジェンザイムといった有名企業も名を連ねており、この地区に進出している日本企業も数社あります。このほか、駅周辺に位置するパール・デュー地区の開発が進んでいます。現在、ここには高層ビルが建設されており、ヨーロッパ最大のビジネスセンターが誕生することになります。そして、企業だけでなく数多くの住宅、大規模ショッピングセンター、ホテル、さらには豪華な大型文化施設もいくつか設置されます。オーディトリアムもあり、国立リヨン管弦楽団がここで演奏します。また、膨大な蔵書数を誇るリヨン市立図書館もあります。リヨン市立図書館は貴重な歴史的書物を所蔵しており、現在では世界中からアクセスでき、Googleを通じて閲覧できるようになっています。このように、この地区は新しい高層ビルとともに開発が進んでいます。高層ビルについては、「鉛筆タワー」の次に建設されたのが「オクシジェヌ・タワー」です。続いて現在建設中のもう一つのタワーとして「インシティ・タワー」があります。もっとも、この「インシティ・タワー」は、皆様の超高層ビルよりも低く、高さはせいぜい200メートル程度になる予定です。この200メートルというのは、実はリヨンの建物について上限とされている高さです。というのも、ご存じかもしれませんが、リヨンには丘があり、そこにフルヴィエール大聖堂が建っています。それがこの高さなのです。私どもはフルヴィエール大聖堂より高いものは望まないのです。
 では、現在推進中の計画をいくつか紹介させていただきます。その中でも象徴的な計画がこれです。ご覧のように、リヨンを流れる二つの川の間にあるからです。そして、ここで二つの川が合流するのです。こちらがソーヌ川で、こちらがローヌ川です。この地区は、元は産業地区でしたが、巨大な荒れ地と化し、廃墟となった工場しか残っていませんでした。私どもは、ここを再開発して新しい地区にすることにしたのです。ここではよく見えませんが、ソーヌ川沿いに産業施設がいくつかあり、これは保存することにしました。この再開発地区が完成すれば、ここに25,000人が住み、35,000人の給与所得者がここで働くことになります。少し詳しく見てみましょう。まず初めに立地ですが、それは川の合流地点にあります。リヨンの中心はここにありましたが、このリヨンの中心区を広げることにしたのです。つまり、皆様もきっとご存じのリヨンの面積、すなわちリヨンの旧市街の2倍になるわけで、現在開発中の大メトロポリスの中心がここに位置します。つまり、川の合流するここがコンフリュアンス地区で、ここを開発しようと考えたのです。ここに見えるのがリヨンを見下ろす丘で、多くの木が植えられています。私どもは、この地区を新たな持続可能な開発地区にしたいと考えています。コンフリュアンス地区から大きな公園、すなわちパークが始まるようにし、そのパークがこの地区全体を巡るようなかたちで少しずつ整備していきます。そして、将来はこのパークをソーヌ川沿いに北に20キロ延長し、ソーヌ川の田園地帯、ちょうどリヨンの始まる地点まで延ばす予定です。私どもは、この地区をパークの周りに建設したいと考えました。その一部が今ご覧になっているここなのですが、同時にソーヌ川もこの地区の中心を通るようにしたいと考えました。ここが大パークで、およそ2ヘクタールあります。池のある大パークで、岸沿いに住宅が建設されます。そして、ここをレジャー拠点とし、ここには地方議会の本部も置きます。ここはまさに新地区の中心となります。おわかりのように、いたるところに水があります。ソーヌ川にもあり、このアクアティックパークの中にもあります。またパーク自体にも建物の前に池がいくつか設けられ、自然が新しい住宅を包み込むようにし、その住宅自体がまさに「持続可能な開発」となるのです。ちなみに、「Concerto」という名のEUプログラムがあります。これは最も美しい持続可能なプロジェクトを選定するプログラムですが、リヨンのこの住宅プロジェクトはこのEUプログラム「Concerto」に選ばれました。
 もう一つ別の地区が、リヨン市外のヴォー=アン=ヴランにあります。このヴォー=アン=ヴランという町は、ご存じかもしれませんが、フランスの都市部で起こった暴動に巻き込まれました。その背景として、フランスでは一部の郊外が甚だしく劣化し、そこにとりわけ移民出身者が多く住み、いわばゲットー化されたような地域があります。リヨンでは、私どもはバランスの取れた都市形成を望んでおり、市街の中心地にあらゆる人のための住宅があり、最も裕福な人も最も貧しい人も住めるようにしたいと考えています。そこで、いくつかの建物を撤去し、新しく建て替え、ゲットー化した地区を回復させました。ヴォー=アン=ヴランには「カレ・ド・ソワ」という名前の新しい地区があります。ご覧のように路面電車と、ここでは見えませんが、この下にメトロがあり、リヨンの中心と結ばれています。この地区で、私どもは500ヘクタールの大規模な都市計画を実施することにしています。ここでもプロジェクトは、ご覧の通り、美しい運河沿いの広大な緑地の中で実施されています。私どもは、この立地条件を最大限に活用したいと考えています。ここに見えるのは競馬場で、以前からこの地区の端にあったものですが、全面的に改装しました。このように、この地区は、以前はリヨン市民が何となく不安を感じ、あまり行きたがらない地区の一つでしたが、今では将来のモデル都市となりつつあるわけです。つまり、私どもが今取り組んでいるのは、1960年代の都市から2050年代の都市への転換なのです。例えば、私どもが建設したこのショッピングセンターをご覧ください。私どもは、閉じた形のショッピングセンターではなく、上部が開いたオープンスペースのあるものにしたいと考え、自然の中に広い遊歩道が続き、所々にショッピングスペースがある形にしました。私がとても誇りに思うのは、この間まで廃れていたこの地区のこのショッピングセンター内に、今は最新刊の書籍を取り揃えた2,600平方メートルにもおよぶ書店があることです。
 以上、簡単ではありますが、リヨンの街を、その過去と現在の姿を中心に紹介させていただきました。リヨン市会議員の私どもは、好ましいと思われる伝統を保存しながら、同時にそれを発想源として未来を見据え、私どもの子供たちの将来を準備していく必要があると考えています。私どもは、お互いにやり遂げなければいけないいくつかの課題を抱えています。その課題の一つは、経済的な課題です。また社会的な課題もあり、将来、私どもの社会において、誰もができるだけ高い生活レベルで、誇りをもって暮らせるようにしなければなりません。そして第3の課題、それは私どもが手がける開発を、同時に持続可能な開発にもすることです。天然資源を枯渇させないこと、生物多様性を維持できるようにすること、そして地球の再生を可能にすることです。過去100年の歴史を振り返ると、多くの場合、産業が地球を破壊してきました。今日、私どもの世代は地球を再建していかなければなりません。
 最後に、皆様に申し上げておきたいことがあります。横浜市長、私は横浜港開港150周年記念式典で拝見したイベントに深く感銘を受けました。そのイベントでは横浜市の歴史が紹介されました。横浜の成し遂げた快挙、また皆様が経験してこられた困難、震災、そして横浜にも壊滅的な被害を与えたあの第二次世界大戦にも話が及んでいました。次いで、未来のビジョンが示されました。空に羽ばたいていった一群の鳩、またそこにいた子供たち、この記念式典の準備に参加した横浜の住民の皆様といっしょにいた子供たち。
 それは明日の都市のイメージを示すものだと、私は思います。都市づくりとは、私ども議員だけで行うものではなく、住民が力を合わせて自分たちの街をつくり上げていくようにしなければなりません。そして、あらゆる住民が参加しなければなりません。例えば、会場では最前列に車椅子の少女がいて、その女の子が実にうれしそうに記念式典に参加しているのを見て、私は胸を打たれました。この地球上のあらゆる人々に幸せを与えること、それがおそらく私どもに与えられた任務であり、市会議員である私どもの最も大きな使命だと思います。
 ご清聴ありがとうございました。

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